きっとひとりごと。

日々変化していく自分を、ゆるく楽しむ観察日記。

なりたい。歩きたい。

 

私は、誰かの胸に響くような文章は書けない。

 

誰かを感動させるような歌も歌えない。

 

誰かを笑顔にするような料理も振る舞えない。

 

誰かの心に残るような絵も描けない。

 

誰かを救えるような聞き手にはなれない。

 

私は……………

 

 

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私は大変に子供っぽい。幼稚で頭が悪い。

わがまま言って泣いていれば、思い通りになると思っている。

 

そう気がついたのは、つい最近のこと。

私は、私が幼稚なガキんちょであることを、ようやく自覚し始めている。

やりたくないことに対して、あからさまに嫌な顔をする。本心を隠して笑顔を向けるような、大人な対応ができない。

嫌いな人に対して、あからさまに嫌な態度をとる。にこにこして受け流せるような、大人な対応ができない。

「はい、わかりました」で済むところを、「いや、でも…ちょっと」と抵抗する。時には「嫌です」「無理です」「やりたくないです」とわがままを言う。

年齢は二十歳を超えていても、中身はまだまだ幼稚なガキんちょである。

 

成長している実感がない。

むしろ、自分に素直になればなるほど、子供へと戻っていく気がしてくる。

私には我慢が足りないのだろうか。

 

忍耐力は、大人になるに連れて自然と身についていくように思う。

理不尽なことがあれど、嫌悪感を抱くことがあれど、その場は耐え忍んだほうが事の収束が早いと学習している。

にこにことやり過ごしている間に、もやもやした気持ちは風船のように膨らんでいて、破裂しないように耐えている。

後になって、他の誰かに愚痴をこぼす。耐えた分を別のどこかで吐き出しておく。そうしないと風船はすぐに割れてしまうことだろう。

 

私はこの風船をなるべく膨らませたくないのかもしれない。

 

良く言えば素直な私は、「好きなようにしていい」と言われれば好きなようにしたいと思う。

けれどそれはそれで怒られることがある。好きなようにしろと言ったのはあっちなのに、好きなようにしてると怒られる。

怒られて、注意されて、「はい、わかりました」と言えばいいのか。私には難しい事のように思える。

 

私自身、納得して仕事をしたい。

納得するために質問したり確認したりするけれど、その時の態度はでかいし言葉も悪い。

私はさながらガキ大将だ。幼稚なレベルで偉そうに振る舞うガキんちょだ。

 

大人になりたいなぁと思う。

 

大人になったら、きっと苦手な人や嫌いな人と折り合いをつけて接することができるのだろう。

仕事だからと割り切って、嫌なことにも耐え忍ぶことができるのだろう。

 

大人ってすごいな。

 

 

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私には何ができるだろう。

誰の、何の役に立てるのだろう。

私は何を持っているんだろう。

何を誰にあげることができるのだろう。

 

誰かの役に立ってみたいな。

 

涙でできた水たまりに捕まって、足が動かせなくて困っている。

その実、全く動かせないわけじゃなくて、そこから動くことを恐れていたりして。涙の温かさに安心していたりして。

 

そうか、私、自分で歩いていかなきゃいけないんだなぁ。

 

一歩踏み出せるのはいつなのだろう。

 

私には、手ぶらで、裸足のまま、歩き出す勇気があるだろうか。